kondou製作所のブログ

趣味の個人サークルKondou製作所のブログです。

どうなんでしょうねぇ・・・

車で、一般道を制限速度で走ってたら回転灯を回していないパトカーに追い越しされました。

しかし、これでこちらが制限速度を上回ればいつでもスピード違反で取締りが出来る件

>なんか、納得いかないw


こんにちは日暮です。
とりあえず、スピード違反で捕まるとかしたくないのでおとなしく走ります。

さて頭が重い日が続いて困っています。(・人・)
ので、書きやすいことでも

NHKでICT教育がどうたらというのをやっていましたが、個人的にはいろいろ駄目ではないかと。

何が駄目かといえば、たとえば、キャンバスで描きなれている人がタブレットでいきなり思い通りの絵が書けるのか?という例えがいいのか悪いのかわかりませんが、人間はさまざまな刺激を受けてそれも込みで記憶などをしています。

本を手に持つことで重みを感じたり、本の前の方、後ろの方を視覚的・感触的に感じ・記憶し・操作(ページをめくるなど)します。大切な内容だけが頭に入ればいいというものではなく、その内容がそのときの環境・状況・感触・匂い・温度も含めて感じ記憶しているのではないかと思うのです。

絵を描くときであれば、画材の物性、キャンバスのすべりや絵の具の硬さ、そんな情報も感じながらイメージした物を具現化していくので、まるで指先の感触がなくなったかのようなタブレットで同じ操作をするのは難しいと思います。

記憶はさまざまな物と結びつけて存在するのではないかと思います。 季節の匂いで急に何かの食べ物の事を思い出したり、その食べ物で一緒に食べた人の事を思い出したり、1つの事象はさまざまな記憶とリンクして存在しているかと思います。

ですので、より記憶をしっかりした物にするためには記憶したいことだけではなく、それをさまざまな記憶・情報と紐付けしておくことが大切なのではないかと思うのです。


次に、たとえば、タブレットを使うことが目的とされ、教育がその次になっているのではないかという事。

どうやったらタブレットを教育の現場で生かせるだろうか?ということが優先されてはいないでしょうか?

必要があって使われるのではなく、タブレットを使うことが目的では教育の妨げになっても教育を進めることには役に立たなくても仕方がありません。

タブレットでなければ出来ない事はタブレットで行えばいいですが何でもかんでもタブレットで行う必要性というのが良くわかりません。

また、前述の通り、タブレットは紙を用いた教科書・ノートの完全互換にはなりえません。また、場所はとる物の教科書・ノートと比べて必ず情報検索能力が高いともいえない部分もあります。

教科書などの本であれば手の感触で以前見たページに容易にアクセスすることが可能ですがタブレットなどではページ数や関連する語句の記憶がなければなかなか目的のページにたどり着けません。「確かのこのへんのページに・・・」という手の感触や記憶による記憶の紐付けや補完が出来ないのです。

もちろん、タブレットの方が優れていることもあります。
手に余るような膨大なデータからの検索や本とは違う常に更新可能な情報などは本やノートでは不可能な利便性です。

と、いうわけで良い教育をするのが目的ではなくタブレットを使うのが目的になっていてはそれはおかしいし、人間の特性として視覚や触覚も記憶に少なくない影響がある以上むやみにタブレットを利用しても記憶力向上には役に立たないのではないかという一般人の考えでした。

CADや高度な計算技術による工業製品の発達は素晴らしいですが、それでも手作業による確認や調整が必要なことはまだまだ沢山あるかと思います。

そういえば、紙をつまんでページをめくるって結構な作業だと思いませんか?

強すぎれば紙は破れますし、弱ければ滑ってしまってめくれない。どうしてもめくれなければ本を捻ってページをめくりやすくしたり、おそらくこれはまだロボットでもあんまりやって無い事なんじゃないかと思います。やってないというより簡単には出来ないんですが。そういうことも脳の働きに何らかの影響をおよぼしているとはかんがえられませんかね?

ボケ防止に手先を使うように、記憶を促すために手を使うということもありえるような気がします。

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