kondou製作所のブログ

趣味の個人サークルKondou製作所のブログです。

機会はしょせん機械だから・・・

お久しぶりでございます。

暇があればスピーカーの方をやってますが、なかなか進みませんがそれなりに進んでもいるんですよって意味がわかりませんが、更新するのに手ごろな内容も無いのでおだんまりなこのごろです。

ところで、こんな話を小耳に挟みました。

クラシック評論家の故吉田秀和さんの自宅オーディオは特別高価なものではなかったと。

「立派な装置の方がいいと思うが、音楽を聞くのに立派な装置はいらない。機械は所詮機械だから。」

( ゜ヮ゜)?ぽぇ?

おそらく、「ステレオ装置と生演奏の間には埋まらない溝がある」ということなのかなと。

で、ひとつにこれは正しいと思います。ステレオマイク録音・スピーカー再生では再現できない音がありますし、ヘッドホンであってもまた同様の事があります。生演奏とステレオ再生(仮に多チャンネル再生であっても)生演奏は再現できないと当方自身が感じています。

しかし、その一方で「その諦め」とか、「諦めさせてしまった状況」と言うのが残念にも思います。

毎度の事ながら、どんな装置で再生しても音楽は音楽ですが、これが写真に置き換えてみたらどうでしょうか?

つい今撮影したかのような鮮やかな色合いに、コントラストが高く表現したい被写体に切れの良くピントが決まっている写真と、色褪せて黄ばんだ印画紙にうつろなピントで写っている被写体の写真。同じ被写体、同じ構図の写真で後者を選ぶのは酔狂ではないでしょうか? そして、それは同じ作品といえるのでしょうか?

ステレオ再生で言うならばボーカルが美しくセンターに決まり、その背後少し奥の左右に広がるクリアな伴奏が体験できれば、もし、それが生音と必ず一致しなかったとしても、写真で見るのと肉眼で見るのと同じぐらいの差があったとしても音楽を楽しむ上で「良い音」というものは大きな魅力があることではないでしょうか? そして、音楽を演奏・録音される方に、もし生演奏を聞けない人や度々自宅や外出先で再生してくれるファンに対してサービス精神があるならば再生機器のことを考えて録音するということは大きな意味のあることだと思います。

音楽をされる方が「何で聞いても俺の音楽だ」なんて録音に気を配らなくなったり、「そもそも、録音したものを聞こうということ自体が間違ってる、ライブに来い」なんて話になったら、何でそんな投げやりなものをお金を払って買わなきゃならないのだろうか?と私なら思います。まるで、サンマの食べかすを与えられて「サンマはサンマだろ」といわれているようにすら思います。

それに付随して、「CDが売れない」「違法ダウンロードのせいだ」などと見当はずれな議論がされ、一部の人間の利益のために法整備がされたりしていますが、やはり「買って聴いてみたい」音楽が音があるのでしょうか?

オーディオもまた手が出せないほど高価格で宗教じみたものや、デザインや使いやすさや低価格の路線で音質がないがしろになっているもの、はてまた高音質を謳っておきながら大したことは無いにもかかわらず、使用者が「これが高音質なんだ」と信じて慢心してしまっているもの。

いずれも「音楽に、音質に興味を持て」と言われてもそれは難しい状況です。

オーディオを趣味とされる方々の音質を求めようとする気持ちは酔狂ではなく人としてとても純粋な欲求であると思いますし、それが満たされるべく音楽を作る人・オーディオにかかわる人・音楽を聴く人が真摯に取り組めばオーディオ業界・音楽業界ともに活気付くのではないでしょうか?もちろん、ユーザーとしても日々の楽しみ、人生の楽しみが増えることと思います。

「何で聞いても同じ、何を聞いても同じ」今の音楽不況オーディオ不況にはそういった失望が溢れている気がします。
その状況を変えずに怠惰を続けて愚痴を言っていては誰も幸せになれないと思います。

すばらしい音楽とすばらしい音質、その価値・魅力は今までもこれからも絶対にあり続けると思います。どのような方にもオーディオを諦めないで欲しいなと思います。

223749